自由と自由の周辺で

 休日の前だからといって、横溝正史の「悪魔が来たりて笛を吹く」のドラマを3本連続で観た。古谷一行、吉岡秀隆、西田敏行、それぞれが金田一耕助役をやっていた。横溝さん、よくこんなストーリー考えつくな~って、おびえながら感心すると同時に、こういう昔の設定の昔のドラマでついつい注目してしまうのは女優さんたちの着物姿である。いや、正しくは女優さんたちの長襦袢姿である。

 特に西田敏行さんバージョンに出ていた、太地喜和子さんのが群を抜いていた。お部屋でくつろいでいたままの姿で、愛人を迎えに廊下に出てくるのである。真っ赤な長襦袢に目の覚めるようなグリーンのキラキラした伊達締めを巻いて。襟元の抜き加減と合わせ目の乱れ加減が絶妙にあられもない。

 きゃー。セクシー!! 家でひとりで手をたたいて喜んでいる私って。笑。

 お着物の帯をしゅるしゅる解かれて、「あ~れ~~!」のときには、あれくらいのものを仕込んでおきたいものである。あんなのどこに売っているのだろう。もちろんあれを着たからってみんながセクシーになるわけではないよね。太地さんすごいわあ。

 そして翌日の夜は学生時代に住んでいた街に、高校のときからのお友達と着物で飲みに行った。私には故郷がふたつある。生まれ故郷の北海道、今実家がある釧路市と、杉並区阿佐ヶ谷駅の周辺である。そして大学の頃から通っていた飲み屋さんはまだちゃんとあって、昔なじみの人たちが、同じように同じものを飲んでいるの。そして7時くらいから飲み始めているのに、懐かしい人がどんどん入ってきて、楽しくて笑っているうちに気づいたらすでに10時を回っている。不思議だ。

 あの頃、自由ってなんだかわかっていなかったのに、自由であるふりをしていた。今でもよくわかっていない。ふとした瞬間に「自由だ」って思えることはあるけれどほんの一時だ。そんなとき私は目の前の人とダンスしている。今ここの事象とハーモニーを奏でている。調和している。今ここに溶け込んでいる。お互いの自由を喜ぶことができている。いつもじゃないけれど。

 仕方がない。とりあえずはふらふらと自由と自由の周辺を波のように行き来しながら、何が起きていくのか見守っていこう。まずは真っ赤な長襦袢だ。笑。

 今日もセクシーで破廉恥なあるがままで。

 

Sex Coach Amara

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