夢のなかへ
昨日、別々にセットした洗濯機と食洗器がピッタリ同時に終了の「ピー、ピー」って音を鳴らした。びっくりした。
最近夢なのか現実なのかよくわからなくなる。昨日も六本木を歩いていると「これは現実なの?」って思えるような面白い人が歩いている。スタンハンセンみたいなひとが、なぜか私に「こんにちは」と挨拶してくる。えっ?ほんと?
なので「この世は夢だ」「これも夢かもしれない」と思いながら開き直って生きている。
そうして今ここの夢のなかに、可能な限り没入してみている。遊んでいる。
ジムキャリーのトゥルーマンショーって映画があったけれど、あんなふうにすべてが舞台の上、劇場で展開されている気さえする。そしてここが肝心。夢だったら何だってできるのだ。
中学高校とバスケットボールをけっこうまじめにやっていたけれど、信じられないほどうまくいくときには、その瞬間に没入している。そのとき私という存在はバスケットボールというゲームそのものになっていて、溶け込んでいる。自分がなくなっている。
チームメイトとそのときのことを「無だよね」と話していた。「無」「空」。場面そのものになること。今ここに溶け込んでいること。
人を愛したら自分がなくなる。今この瞬間には相手に溶け込んでいる。とりまく世界に溶け込んでいる。一度でも人を愛したことがあるのなら、経験していますよね?
愛やセックスは没入して、溶け込んで、自分がなくなればなるほど極上のものになる。愛は普段は埋もれている。没入して溶け込んで自分がなくなればあふれ出す。あふれ出したら自分がなくなる。どちらが先かわからないけれど。
パートナーがいるのなら会話をしてみて欲しい。愛とセックスについての考えはお互いに大抵はすれ違っている。そうして試してみて欲しい。もう一度没入するセックスを。お互いが溶け込んで自分がなくなるような。
パートナーがいなかったら手をつないで目を合わせてみて欲しい。そこから何かが始まることもあるし。始まらなくてもかまわないでしょ。
この世は夢のなかなのだから。
夢の続きを楽しんで。
今日もセクシーな一日を。
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