欲望という名の五月
私は五月が好き。緑が目に痛いほどのエネルギーにあふれ、バラとジャスミンの香る頃。
生きていれば、それにクリニックをやっていれば、やることは勝手に目の前に現れてくる。患者さん、診察、参考になる本を読むこと、身だしなみ、お料理、食べる、お掃除、寝る、会話をする。勝手に目の前に差し出される。他に何をする必要がある?
とかくこの世はハウツー流行りで、皆が何かを得ようとして今この瞬間を取り逃している。もちろん私も、「何かをしなきゃ」にとらわれるときがある。例えばこのブログでさえも書き始めたエネルギーは欲望だ。何かを成したいという気持ちの表れだったりした。
例えば昨日、私はお誕生日だったのだけれど、やっぱり「誰かにお祝いされたい」という欲望は出てくるの笑。子供の頃お誕生会やってもらったし、ここ10数年はパートナーがいたからお誕生会に慣れてしまってもいた。「お誕生日は祝ってもらうもの」っていう刷り込みって強烈にある。五月まさに今、自分はいかに欲望まみれなのかに気づいている。だって欲望って勝手に出てくるんだもん。すてきな人がいればモアっとしますもん。笑。
ある方が、
「休職のリハビリのためにボウリングを始めたのだけれど、カッカしている自分に気づいたのです。スコアを気にし始め、いつの間にかとらわれるようになっていたのですね。リラックスして楽しむために始めたことが楽しめていなかったのです。」
という経験を話してくれた。とかく私たちが陥りがちな意識。スポーツだとわかりやすい。リラックスして今ここに集中していたほうが結果がついてくると皆が体感として知っている。
「マインドフルネスしてちゃ成功はできない」という記事をみかけた。とかく私たちはこのように思いがちである。何かを得ようとする「することモード」の脳のプログラム。
もちろん仕事だけではなく、恋愛にもセックスにも「することモード」が作動する。得よう得ようとすればするほど、「生」という美しい流れのなかのハーモニーがいとも簡単に乱れていく。恋や快感って「起こそうとすること」というよりも「起こること」だし。
「シナリオ気にしてちゃ恋はできない」って寺尾聰が歌っていましたが、今この瞬間、目の前にいる人とハートを開き重ね合わせて楽しむ以外に何ができる?
男の人のプレッシャーって相当なのだろうな、きっと。何とかしようとするよね。相手を満たしてあげようとか格好よく行おうとか。男性のこのような涙ぐましい努力にもかかわらず、絶頂を経験したことのある女性は一割程度、というデータすらある。
昨日新丸ビルのデッキから東京駅を眺めながら、まさか私とここにこうしているとは、と言うから、「何が起こるかなんて本当にわからないわよね」と話していた。風が強かったけれど、肌にひんやりする五月の空気が腕にからんできて心地よい。
とにかく何が起ころうともハートは全開放で今ここを楽しみつくす。私もいつかその境地にいけるかな。
今日もセクシーな一日を。
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