すべてが不確定なこの世の中で
同じ変態として尊敬していたお友達の誕生日が二日違いだったので、「変態は春生まれる」のか!と危うく一般化しそうになったけど、夏生まれの変態もいたので安心した。共通点のひとつは裸族であること。こう暑くて夏が近づいてくると、半裸で生活したくなる。
浮くことやもぐることもできない、正真正銘のカナヅチである私ですが、海が好き。できるだけ覆いの少ないビキニを着て、テラスでシャンパンなんて最高。ただただぼうっと海を眺めているの。素肌に潮風を浴びながら。男の人は見えそうで見えないのが好きらしいけれど知るもんか。だって気持ちいいんだもん。笑。
シチリア島に行ったとき、隣のパラソルにおばあちゃんがふたりシワシワでぷくぷくのビキニ姿なんだけど、堂々と寝そべって、女子高生みたいにぺちゃくちゃおしゃべりしていた。「昔からビーチは私たちの居場所」っていう風情、いいなあ。
コルシカ島ではピンクのギンガムチェックのビキニを着た高齢のマダムが、ブリジットバルドーばりに無造作に金髪を束ねてビーチを闊歩していた。そうこなくちゃ。
海にいるとハートが全開になる。全身がハートになったみたいに満たされる。みんなが無邪気に見える。みんなが思い思いに海と戯れている。
すべてが不確定なこの世の中で、今ここでハートを全開にしている以外に何ができる? みんなが海にいるときだけはこの重大なあり方を実践しているみたいだ。みんな本能的には知っているのかもしれない。ちゃんと海と同調している。波と同調している。同じ波は二度と来ない。予測なんて何ひとつできない。けれども同調して「在る」ことはできる。
すべてが不確定なこの世の中で、私たちに何ができる? 今隣にいる人は明日はいないかもしれない。握りしめている手はもう二度と触れられないかもしれない。けれどもハートとハートを触れ合わせて、我を忘れることはできる。お互いのなかに「在る」ことはできる。
遊んだ。何というか完璧な一日だった。
また海に来よう。
今日もエクスタシーな一日を。
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