ただの存在として
昨日は心底ぞぞっとした。朝ヤカンを火にかけっぱなしで出かけたのだ。19時に帰ってきたら部屋中が焦げ臭い。8時過ぎからずっと火の上にあったのだと思うとさすがの私も足ががくがくした。けれども驚いたことにホーローのヤカンは全く無事で焦げたり変形すらしていない。煎じていた薬草が真っ黒こげになっているだけ。胸をなでおろしほんとうにこれから気をつけようと誓った。なんかわからない何かに感謝です。
朝久しぶりに六本木のスターバックスへ行った。スターバックスコーヒーに初めて入ったのがいつだったか忘れたけれど、接遇をよく訓練されているのがわかる。できるだけいつも頼むものを覚えてくれようとしているし、目についたすてきだと思えるところを褒めてくれる。持ち物や服装や、話し方や髪型や。変化を見逃さず言葉にしてくれたりもする。
注文を聞いてくれたお兄さんが、とてもすてきなネクタイをしていたので「逆スタバ」で褒めてみた。そうくるとは思っていなかったのか真面目な顔を崩さずにぶっきらぼうに「ありがとうございます」と言っていた。面白い。まさか逆襲が来るとは思っていなかったのかも。
患者さんのなかにはとても話しやすくて聞き上手な方がいて、私のほうがいつの間にか自分の話をしていることがある。「逆アマラ」と呼んでいるけれどありがたいことだ。気がついたら私のほうが癒されている。笑。社会というものは役割を押しつけるものだし、私たちも役割に縛られるけれど、逆夫婦、逆親子、逆恋人関係など、普段の役割とは反対をたまにやるのも楽しい。「今日はお母さんが娘になるから、あなたはお父さんね」なんて言われたら小学生の男の子なんか喜んじゃうのではないだろうか。それにお母さんも甘えられるし一石二鳥じゃないかな。
もちろんいつもとは逆セックスもありですよ。笑。
私たちもたまには子どもになるといい。
そして子どもであるもなくなって、お互いの役割なんかどこかにいってしまうといい。男も女もこうでなければならないを突破する。あるべき姿を考えているうちに貴重な瞬間は通り過ぎていく。そして宝物のようなそのときを取り逃す。何の肩書も役割も男か女かさえも消えたその瞬間が最高のエクスタシーだ。「あなたの前ではただの女でいたい」も通り過ぎて「ただの存在として」いる。存在同士がいっしょにダンスをしながら重なり合って、ぴったり調和したそのときに大きなひとつの存在に溶け込んでいく。なんという官能だろう。
「あなたの前ではただの存在でいたい」は究極のラブレターだと思う私ですが、言われても「えっ?」って感じですか? どうかしら? 笑。
なんて妄想ばかりしているからヤカン火にかけたまま出かけたりするのね。安全第一。ほんとに気づこう。意識的に生きよう。
今日も安全でヘンタイでセクシーな一日を。
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