避暑地の出来事
昔から飛行機が大好き。子どもの頃、夏休みにはよく釧路から祖父母のいる札幌まで飛んだ。時空を超える乗り物、タイムマシンみたいに感じるの。何だか嘘臭くないですか? 飛行機って。本当はその場にいるだけなのじゃないかしら。窓の景色を動かしているだけなのではないかしら。世の中って本当はどこでもドアみたいになっているのではないかと子供のころは疑っていた。今でもそんなふうに感じることがある。
ときどき、自分というか身体のなかに入っている存在というかが宇宙の中心で、周りが勝手に動いているような感覚になる。その存在は子どもの頃からずっと常にいたし、何ひとつ変わっていない。昔から鏡に映る自分を嘘臭く感じたし、三面鏡の左右を垂直に折り込んで、左右に無限に並ばせてみても、おびただしい数の顔のどれもこれもが嘘臭い。
私なんて本当はいないのじゃないだろうか。その存在がすべてなのではないだろうか。もしそうだとしたら本当に楽だよね。未だにときどき自分を持て余すんだ。「あほっ」てピコピコハンマーで殴りたくなるんだ。笑。
タイムボカンのような大きな車で軽井沢へ。たくさんの場所へ行ったたくさんの記憶が押し寄せてくる。自転車やバイクもしくは車で通った道。いつも誰かに連れていかれて目的地さえもわからずに着いていくのが私の旅だった。スナップショットの寄せ集めのような記憶の断片だけが頭にあり、どこに行ったかさえも定かではなく、道や場所を覚えない私の旅。
広いホテルの大きなロビー。ソファーに腰かけて雨に洗われたばかりの美しい緑を見ていた。手をつないでしばらく何も話さない。ここにだったらいくらでもいられそう。ずっとこのままで…。と思った矢先に笑い出す。なにそれ? 私も噴出してしまう。
着くことだけが旅ではないってわかっているけれど、目的地を設定したくなるときがある。道中のプロセスの様々なものを見逃しながら、必死で到着をめざすときがある。設定しているゴールにたどり着いたとしても、それが終わりではないのに。すべてがプロセスなのに。自分を持て余すときは、何かを起こそうとしているときだ。目的地に執着しているときだ。気づいたら自分を目覚めさせよう。ピコピコハンマーでピコってしてね。笑。
そうなの。今も昔も連れていかれるのがこの上ない快感なの。だったらいいじゃない。そのままで。
今日もヘンタイで破廉恥でセクシーな一日を。
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