夏の終わりに
厚労省の判断によりブログは削らなくてもよさそうなので、こちらを再開することにした。何も言われなかったのをよいことに、ちゃっかりと静かに続けよう。
タイムボカン号(と名付けているおっきな車)で湘南へ。ドライブのいいところは、車のなかで気兼ねなくたくさんおしゃべりができること。流れてくる歌を大声で合唱しても誰の邪魔にもならないこと。
夏の終わりの海はしぶいていた。濁音となって寄せてくる大波が、きめの粗い泡粒を吹き出しながら次々とダイナミックに浜を打ちつける。葛飾北斎はこの時期に「神奈川沖浪裏」を描いたのだろうか。海を見つめる私たちの「もう泳げない」寂しさを後目に、サーファーたちは嬉しそう。
波を止めようとしたり、波に逆らったり抵抗するサーファーはいない。そうしたとたんに自然界の反発にあうのはわかっている。加えて手におえないような荒くれた波のほうが嬉しいという。予測のできない未知のビッグウェーブに喜び、征服するでも制御するでもなく同調し一体となりそれに乗る。うまくいったときには自分なんて意識は超えていて、海や波のみならず今ここの自然界にあるすべてに溶け込んでいる。
予定通りにいかないことって世の中には山積みだ。
タイムボカン号も予定より遅い出発から始まって、車内でかけるための音楽媒体が直前に故障したり、予定していなかった道を走ることになったり、合流地点や信号で危険な目にあいそうになったりした。最後には時間通りに六本木に着けるかどうかさえ微妙になり、さすがの私も心配しかけた。私たちにはつくづく、予定通りにいかせようとする意識が刷り込まれているみたい。
私たちは恋愛やセックスまで予定通りにいかせようとする。皆、相手に溶け込んで自分が消えてなくなるとろけるような経験がしたい。けれどもいざとなったら恐怖でそこに飛び込めない。自分を失う恐怖が大きすぎるが故か、頭を使って自分を取り繕い、ハート全開ですべてにゆだねることが難しくなっている。
伊豆高原の赤沢温泉で休憩室に大の字になって寝ていた。起こすのもかわいそうなほど気持ちよさそうなので、隣に座ってそのままに放置していた。10分ほどしてガバッと起き上がり、「油断していた」と言う。別に襲ったりはしないけど。笑。
すべてにゆだねるって案外に難しい。どんなことが起ころうとも、熟練したサーファーのように今ここに溶け込んで一体となり、予測できない未知のものまで楽しめたら最高なのに。
今日もセクシーでワイルドなあるがままの一日を。
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