インビテーション
ひとりでいるのも大好きなので、家にいたらいたで楽しく過ごせるし特に不自由はない。都心を夜な夜なお散歩したり、AXNで一挙放送をしているCSIマイアミを観るのにハマっているし、OSHOの詩のように美しい本を読む、家のことをする、文章を書く、音楽を聴く、妄想をする。お酒を飲むことも。私が好きなことは全部ひとりでもできる。
いつの間にか急なお誘いは、決めた予定を優先してお断りするようになっていた。私のような仕事をしているものは、ひとりの時間も充実させることが大切だと思っていたの。けれども最近、ぱん、と弾けた。習慣が変わってきた。
思えば学生の頃は急な誘いばかりだった。それに乗って面白い経験がたくさんできた。朝まで飲んだ後、気がついたら皆で湘南に行っていたり、長野にスキーに行っていたこともあった。今日の予定すら立てなかった。いつも不測の事態が起こっていた。そしてその出来事に笑って泣いて怒って喜んでいた。毎日が未知との遭遇だった。
マインド(思考)というものは合理化が得意なのだろう。気がつけば「ひとりの時間も大切」「不測の事態ばかりだと疲れる」「仕事のためにエネルギーためておかなきゃ」などなど、様々な思い込みが私の行動パターンをつくり、習慣をつくっていた。かといって、今から学生のときと全く同じことをするつもりはないけれど。笑。
ぱん、と弾けて以来、急なお誘いでもせっかくの「インビテーション」はできるだけ受け取るようにしていたら、今ここで何が起こるのかわくわくし始めた。私の考えや都合や予定だけでは起こらないだろう面白いことが目の前に現れるのが楽しくて仕方がない。
「明日飲み会があるのですが」「イエス」「今表参道にいるんだけど」「イエス」「今日ごはん食べない?」「イエス」「ここに行ってみない?」「イエス」
昔「イエスマン」にはなっちゃダメと言われた気がするけれど。イエスマン度90%以上だわ。笑。
人も自然現象だとすれば、人との関わりのなかで豊かさが花開いていくに決まっている。そしてひとりでいるときよりも明らかに花開く度合いや速度は増していく。まるで池に投げ入れられたいくつもの石の周りにできた波紋が、重なりあって大きく大きく成長していくのを見ているみたい。それに特別な男の人がひとりいれば、豊かさの凝縮されたこの世界にどんどん深く深く入り込んで行けるの。横のひろがりと縦のひろがりと。
横と縦の糸の織りなす紬のような繊細さのなかで水のように淀みなく流れていよう。
今日も喜びのセクシーダンスを。
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